天津 '85

   同僚2人と仕事で中国の天津に行ってきました。人々の心はとても純真できわめて治安の良かったことが印象に残っています。 当時はまだ人民服を着ている人もいて人々の生活は大変で十分に食べられない人もいたようです。我々外国人には人民元への両替は認められておらず兌換券という外国人専用の紙幣を使うことになっていました。 私たちが訪れたどの建物の中にもジャスミンの香りがしていて今でもジャスミンの香りを嗅ぐとその時のことが瞬時によみがえります。

掛け軸の製作工房を見学。細かく分業されていて工場みたいでした。

たくさんの人が役割分担し、それぞれ一部分だけを描いていて効率よく進められているようでした。絵や書などの図柄により季節感を表したものや家の安泰を願うもの、縁起物としてや宗教的な意味合いを込められているものもありました。

自転車が交通の主流の時代で通勤時間帯には大量の自転車で道路があふれるくらいでした。その風景は圧巻というかとても異常な光景に思えました。現地の駐在員の話では自動車は国の機関や会社とかの企業が所有していて個人が所有するということはほぼあり得ないということでした。

自家用自動車は走っておらずバスやトラック、少しのタクシーくらいでした。


こんなトロリーバスにも一人で何度か乗りました。バスには女性の車掌さんが乗っていて私が乗り込んだら料金を徴収しに来て兌換券を渡したらなにこれ?という感じで初めて見るようでした。乗客の中に知っている人がいて同じお金で使えるよと教えてくれているようでした。お釣りは人民元で来ました。


女性が運転するバスをよく見かけました。交差点には信号機は無くロータリーになっていました。信号機はまったく見かけませんでした。

パンダはこちらでは珍しくないのか見物している人はあまりいませんでした。また早朝の公園では太極拳のような不思議な運動をしている人を見かけました。まわりを全く気にせず誰に臆することもなく没頭していました。


約1か月間の勤務で休日はこの日1日だけだったと記憶しています。


郊外のとても大きな公園でした。人民公園と名前が替わっていました。


反り屋根はいかにも中国らしく端っこがぴんと尖っています。


大きな湖に面していた公園でした。 📩

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だいぶ前に海外を周遊した記録やバスに乗務しての出来事を記しています。