世界一周旅行
ひと昔前の旅の記憶 1990,5月~1991,1月
1年間オープンの世界一周のチケットが格安で手に入ったので即旅に出ました。11枚のエアーチケットが束になったもので成田から香港、シンガポール、デリー、アムステルダム、ヨーロッパのいずれか1都市、再びアムステルダム、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、ホノルル、成田というものです。あらかじめヨーロッパのユーレイルパスを購入し、初日の宿となる香港ユースホステルだけを予約して成田を発ちました。
香港の入国手続きを終え路線バスに乗ったのは夜10時を過ぎ、終点近くでバスを降りそこからタクシーを捨って香港島の山の上のYHまで向かった。1泊18HK$。翌日はバスを乗り継ぎチムシャツイやアバディーンなどを歩き回り最後マカオにも1泊して5日目シンガポールに向かう。
シンガポールでは2日間民泊。セントーサ島や街中など見て回ってから夕刻クアラルンプール行きの寝台特急に乗った。指定席は個室だった。朝7時にクアラルンプール着。ぐっすり眠れて気持ちがよかった。顔と足を洗ってから、まだ銀行は開いてなかったので駅の売店の人に頼んで10US$のキャッシュをマレーシア$にチェンジしてもらった。それから手荷物預り所にバッグを預けて、街を散策。
駅に戻り近くのインフォメーションセンターで出来たばかりの新しいユースホステル(YH)を案内してもらって9時30分チェックイン。駅から歩いて3分ほど。3泊分で28M$だった。エアコンや個別のロッカー付きで清潔な宿だった。
YHで18才の一人旅の子と知り合った。彼女はマレーシアの東海岸方面が田舎っぽくて、宿も4M$くらいで良かったよと勧めてくれた。彼女の大坂弁がとっても耳に心地よかった。乗り合いバスで一緒にミマランドへ。90¢。およそ50分で到着。途中道の両脇にはパパイヤ、バナナなど、そして山腹にはドリアンも自生していて数十メートルもの高いところに実がなっていた。
クアラルンプール5日目、私は1人バターワースへ。バスは早朝到着。車内は冷房が強烈でほとんど眠れず、頭と喉が痛かった。まだ夜は明けておらず。具合が悪くてたまらずベンチに横になる。建物の天井や壁にはヤモリがたくさん見られた。
明るくなってしばらくしてからフェリーで40¢ペナンへ渡る。中クラスのホテルにチェックイン。その後メディカルセンターヘ行き医者に鼻と喉の奥を見られて10分位で診察は終わり4種類の薬がもらえた。2日間は歩きまわらずおとなしくしているように言われた。82. 9M$を現金で払った。後に旅行保険で払い戻しを受けた。2日後にはすっかり良くなってフォールトや博物館、教会など見て回った。スネークテンプルでは日本人のツアー客がたくさん来ていてカメラのシャッターを押すのを幾度も頼まれた。
バターワースの駅の両替所でUS$50のT/Cをタイバーツにチェンジ。1250B。列車でタイのハジャイへ。セカンドクラスは扇風機。弁当売りが来たので買ってみた20B。普通においしい。ジュース15B。途中の国境の駅でパスポートコントロールがあってマレーシアの出国手続きとタイの入国手続きを同じホームの隣あった窓口で行われた。走行中の列車内では車掌がごみを箒で全部かき集め一番後ろの車両に1メートル以上もの山になるくらいに集めたと思ったらいきなり走行中の列車の真後ろのドアから外へ掃き出した。発展途上国らしい光景だ。
タイ時間PM5時頃ハジャイ着。駅から歩いて数分のオリエンタルホテルにチェックイン。しばらく街中を見て回りローカルな食堂に入って食事。この国境界隈はイスラム教国である隣国から何かを求めて越境してくる始めの街ということもあり怪しい雰囲気があった。翌日見どころも無さそうなので駅へ行きバンコク行きの列車に乗った。指定席なのにイスは3人がけでとっても混んでいて窮屈だった。空いていれば横にもなれたのだが全く眠れず、でもタイの庶民にじかにふれられた列車旅だった。
朝6:30フォアランポーン駅着。駅前の安宿にチェックイン70B。連れ込み宿みたいな所だったが疲れていたのでどこでもよかった。すぐに眠りに着き昼まで眠ったあと近くの食堂でチキン定食とファンタ20B。次にTATに行きバスルートマップなどをもらい有料の地図を買った。このバンコクの街は賑やかで活気があってゴミゴミしていて暑くて排気ガスやどぶ川のにおいや甘いフルーツのにおいなどが混じりあって、私にはなんとなく気が休まる落ち着ける街だ。
翌日はカオサンロードのゲストハウスに移った。安くて清潔な宿がたくさんあった。椰子の実のジュースを飲んだ。冷やされていてその場で開けてくれてストローを差し込んで渡された。このヤシの実はとても大きくて全部は飲みきれない。王宮へも入ってみた。中にはいくつもの建物があるけれども現在はそのどれにもプミポン国王は住んではいないそうだ。どれもこれもまぶしいほどの金色の輝きと派手な色彩で圧倒されてしまう。焼きバナナが売っていた。それは七輪の炭火の上に皮をむいたバナナを並べて焼いている。1本を2Bで買って食べてみた。特に味が変わっているようにも感じない。焼くと栄養価が上がるらしい?
ウイマンメーク宮殿では約30分のガイド案内付きだったがあまり聞き取れず。次にバスでチャオプラヤー川を見に行った。川はコーヒー色に濁っていたが泳いで遊んでいる子供たちがいた。また釣りをしている子供らの針の先にはエサとしてゴキブリが引掛けられていた。渡し船が行き来していて乗ってみたら1Bだった。この辺りは旅行者や観光客が来るようなところではなかった。そして野菜市場でドリアンの一かけらを5Bで買って食べてみたら甘くてべとべとバナナをもっと甘く軟らかくしたような味で匂いも強かったがそんなにいやな匂いではなかった。路線バス2Bを乗り継ぎルンビニパークや大きなマーケットへ。ペットや魚、サソリ、食用のカエルやカブトガニも生きたまま売られてた。衣類、雑貨、食料など驚くほど安い。またバスで北バスターミナルへ。そこの案内所で無料の地図をもらってラマー一世通りヘ。東急デパートにも入ってみた。
東京海上のバンコク支店で保険金の請求を行う。さきのペナンで書いてもらった診断書と領収証をそえて手続きを行い、保険金はマレーシアドルでも日本円でもよいと言う事だったがバーツの小切手で受取ることにした。バスで帰る途中大渋滞で動かなくなった。ぎゅうぎゅうづめの満員になったころ、雨が降り出した。そしてまもなく天井のあちらこちらのリベットの部分からポタリポタリと雨漏り。服が濡れてしまった。ほかの乗客も水滴から逃れようと身をよじったりしているがあきらめ顔だ。なれているのかよくあることなのかわりとおとなしい。バスの中で雨に濡れるのは初めてだ。帰るのに2時間くらいかかってしまった。
チャオプラヤー川の向こう側のトンブリ地区でいくつかのワットを見て回ったあと、川べりのワットアルンを見物。そしてエクスプレスボート5Bに乗ったらゆらゆらと揺れるボートのなかで10分間くらい眠ってしまった。チャオプラヤー川を30分くらいさかのぼって終点のノンタブリーまで行った。そこで大規模なマーケットを見てまわった。観光客の姿は全くなかった。ここでサボジラという南陽の柿といわれている卵形をしたくだものを見つけた。試食してみたらとても旨かったので500g買った。甘柿とそっくりの味でむしろそれより甘くて美味しい。翌日11時に宿をチェックアウト。バスに乗って駅へ行きアユタヤ行の3等切符15Bを買う。
列車は14:25アユタヤ着。アユタヤゲストハウスヘ。ツインルームに1日50Bでチェックイン。その宿には他に2人の日本人が滞在していた。一人は宮城の人で今夜発ってイスタンブール経由でマドリッドヘ行くらしい。もう一人のF君は21才の休学中の東京の大学生だった。このゲストハウスの食堂で、3人で夕食をとった。ポークたっぷりのフライドライスとレモンティーとコークで31B。その後一人で暗くなりかけの町へ散歩に出た。屋台がたくさん出ているにぎやかな広場でオレンジシェイク5Bなどを食べる。
この町の宿は静かで部屋も広くてバンコクよりはるかにgood。やはり田舎の物価は安い。自転車を借り、アユタヤの郊外ヘサイクリング。あちらこちらに古そうなワットがあってパンや切り売りのパイナップルなど食べながら見て回った。この町の人達は素朴で親しみやすい。タ食はF君と近くの食堂でセンミーのフライとオレンジシェイクで一人15B。帰り道に彼と焼きとうもろこしを食べた。1本3Bは安い。F君はタイの後、インドのカルカッタに飛びネパール、パキスタンから陸路をイラン、トルコを経てスペインまで行く計画を持っていた。
日がだいぶ昇ってからF君と駅の東南のワットを見に行った。ワットヤイチャイモンコンに10Bの拝観料を払ってリクライニングブッタなども見物した。帰り道に町の食堂で食事をしてから宿に帰った。その後もゲストハウスの食堂でシェイクを食べ、そして昼寝してから、タ食を北の方の屋台でシーフードセンミーのあんかけと肉まんでおいしい。特に肉まんは3Bという安さなのにうまかった。また食べたいと思う。
ヒサヌロークまでの切符代は58B。列車は定刻にホームに入り発車した。車内で牛乳を買い10B飲んだら甘い甘い。次にパイナップル売りが来て買ったら、何かを振りかけられ食ってみたらびっくりした。塩スパイスがたっぷりで辛い。水で洗い流してから食べた。車窓からは田植えと稲刈りの風景が同時に見られた。列車は15:00着。始めは停車しても別の駅だと思って乗ったままゆっくりしていた。そしてよく見たらヒサヌロークの駅だったので、あわててしまった。定刻より6分早かった。駅の荷物預り所にバックを預けて5B、無料の地図とタイムテーブルをもらってついでにTATの場所まで教えてもらった。それから駅のすぐ真ん前に大きなホテルがあったので料金を聞いてみたら110Bだといったので断ったら100Bでもいいといってきた。しかしそれでも高いと言ったら別の安いホテルを紹介してくれた。
TATを目指し歩いていたら、アジアホテルというのがあったので入って聞いてみたら80Bだという。感じが良かったのでチェックイン。シャワーを浴ぴてからTATへ行きスコータイ遺跡の資料をもらってバスの交通などを教えてもらった。TATの職員は若い美人の女の子3人でとってもフレンドリーで日本人に興味があるようだった。タ食は町の食堂で肉料理2種類とごはんで25B。とっても美味。
夕べの旨かった食堂で朝食後アジアホテルをチェックアウト。親しくしてくれたホテルマンにお礼を言って別れを告げ。バス2Bで北のバスターミナルヘ。スコータイまでのバスの切符14B。そして11時スコータイ着。ホテル名を指定して自転車のタクシーに乗る3B。きれいで清潔そうな80Bの部屋にチェックイン。ミニバスでオールドスコータイヘ。遺跡は壮大で回りきれないほどに広がっていたがどこに行っても私だけで他に訪れている人は誰もいなかった。
ホテルのレストランで朝食後9時30分チェンマイ行のバスに乗る。3時30分頃着。ホテルにチェックイン後ナイトバザールで各種のタイダンスのショーを見物。宿に戻ったら夜10時40分をまわっていた。山岳トレッキングのツアーがいろいろあったが1日コース800B私には高い。地図によると80kmほどの山の中に、山岳少数民族であるメオ族の村があるようなので自分で訪ねたいと思い翌朝100ccのオートバイを借りた。しばらく山道を走行しての途中に関所のような所があって止められた。行先を聞かれてからパスポートNoや名前、住所、オートバイのNo、それに泊まっているホテル名などを記入させられて、さて出発しようとしたら呼び止められ20B要求された。入山料か何かのコミッションか?そしてでこぼこの山道をさらに10分ほど登ったところに彼らの村はあった。まだ電気も水道もない生活で、数十年昔の時代に来てしまったような感じだった。私のオートバイの音に気ずき村の人達が集まって来た。そのなかの実力者らしい一人の老人が私を一軒の家というか、小屋に案内した。中は薄暗くて、真ん中には炭火がたかれていた。老人はなにやら大きなはこを私に見せた。私は黙っていたら老人は箱のふたを空けた。なかは白い粉だった。ヘロインのようだった。私を買人だと思ったらしい。
私は気を悪くされないようにていねいに断って外に出た。そのあと外に出てからも4、5人くらいの男達がスモウク?といってモルヒネかアヘンらしきものを勧めてきた。私は興味がない素振りでつとめて明るくふるまった。その後彼らは無理じいはしなかった。こんどは別の部屋に案内されて、いすに座わらされ何が始まるかと思ったら、彼はごはんと焼いた魚を用意してくれた。とっても不衛生な感じがして食欲もなかったけれどもおいしそうなふりをして食べ礼を言って少しのお金を渡した。別の男がまた、アヘンはいらないかと言ってきたので試しにいくらかときいたらひとつかみ30Bだといってたが、お金はホテルに置いてきたからといってお断りした。女性たちは刺繍した布製品を来訪者に売ったりしてもいた。
街へ戻り、タ食は昨日と同じお店へオートバイで行って食べた。夕方にタイ人の青年が私の部屋に訪ねて来た。ちょっぴり日本語が話せて、とても真面目で優しそうな青年だった。日本が大好きで、日本語で書いた自分の作文をチェックしてほしいということだったが、ほとんど文章にはなっていなくてどんな内容なのかもよくわからないものだった。かたことの日本語と英語でコミニュケーションしながらなんとか作文を意味のあるものに作り直した。彼は日本語を習い初めてまだ4か月くらいだという。2時間ぐらい学習してから、明日また会いたいと言われて午後3:30に約束をして帰っていった。名前はホンチャイと名乗っていた。今日は涼しいというよりは寒い一日だった。
チェンマイに来た団体さんは必ず行くというお寺に行った。ケーブルカーに乗って一番上まで登った。建物やみやげもの屋などを見て回りながらしばらく散策。彼らとの約束の時間に再び会って彼の友達も一緒に3人でミニバスに乗り10分ほどで彼らの宿舎ヘ。そこで女友達もいて2時間くらい日本や日本語の勉強のことなどを話してから食事に出掛けた。彼らは御礼にと、私にタイの料理を御馳走してくれるというのだった。私達4人は近くの食堂に入りタイ料理をおしゃべりしながら食べた。辛かったけれどもとてもおいしかった。彼らは来年に日本に勉強に行く計画を持っていた。そして夕刻に彼らと別れミニバスで町へ戻った。
バスでチェンマイアーケードへ。47Bでチェンライ行のバスチケットを買う。途中休憩しながら3時間30分でチェンライ着。宿にチェックインした後に、もっと良い宿は無いものかと探していたら、昔チェンライゲストハウスという名だったところに1人の若い目本人が滞在していた。彼はもう2週間も泊まっているのだった。トレッキングやそのほかの情報交換し、しばらくの間話をした後、街へ戻った。彼はアヘンを持っていて私と話をしているときも意識が普通ではなかった。タ食は時計塔近くの食堂でごはんと野菜などの炒め物。ホテルの部屋に戻ったら数十センチもの巨大ヤモリがいてびっくりした。捕まえようと追いかけ回したが天井の隙間に逃げられてしまった。
ゲストハウスの食堂で野菜と豚肉入りの30cmほどのオムレツとコークで朝食。チェックアウト後歩いてバスターミナルへ。9:30発のバスでメーサイヘ。10:50メーサイ着。サイクル力車で10Bメーサイプラザゲストハウスにチェックイン。1泊40B。涼しくて清潔で広い部屋でベットは2つあった。ミャンマーとの国境では多くの人々が荷物をかかえて行き来していた。タイ人とミャンマーの人は5Bを払えば自由に国境を行き来出来るのだった。しかし違法に国境を通過しタイとミャンマーを行き来する外国人が少なくないようだ。午後6時の国境ゲートの閉門後も人々は柵を脇から乗り越えて自由に行き来しており通行料も払っていなかった。係官も見ていても何も関知しなかった。裏道に床屋があったので入って聞いてみたら20Bだというので刈ってもらった。その床屋のTVで、ちょうど日本の挑戦者がチャンピオンであるタイ人のコーサイに挑んだ生中継試合を見ることが出来た。日本人のボクサー名は中島、それはチェンマイで行われていた。そこの主人が隣の家の主人と賭けをしていて中島に40Bを賭けていて奥さんにけなされていた。私は彼女と共にコーサイを応援した。髪が仕上がった後も彼等と一緒にボクシングを見ていた。結局テクニカルノックアウトで中島が負けた。
バスでメーチャンヘ7B約40分。レストランで休憩中の窓からはメーサイやチェンライ、チェーンセンヘのバスやミニバスがひっきりなしに来ては去っていった。そして私はチェーンセン行きのバスに乗った。それはワイパーもついていないバスだった7B。
宿に落ち着いてから自転車を借りてゴールデントライアングルヘ。川に沿ってゆっくりとこいでゆくと時々対岸近くをラオスの小船が行き交っていた。ラオス側はジャングルの中に10軒ほどの家が見えた。そこはメコン川が二つに別れていてラオスとミャンマーとタイの3つの国が川を挟んで隣りあっていた。おみやげ屋がたくさん並んでいて高級ホテルもあり比較的明るい雰囲気だ。チェーンセンからバスでチェンライへ14B。ホテルにチェックイン後に夜、近くのバーで白人と一緒に付き合いでビール2本とコーク80B。ほかには客は居なかった。カウンターにミニスカートの女の子が上がってダンスしていた。カウンターの高さは私の胸くらい。私のためだけに踊っているようだった。
バスでチェンマイに戻り1泊してバンコクに戻った。8:30発バンコク着は18:00の予定だったが道が混雑し夜10時を過ぎていた。長時間のバスの冷房ぜめで死にそうだった。その2日後、南バスターミナルからカンチャナブリ行きのバスへ。切符は1時間後の13:30発だったが、ほぼ満席のバスの車掌に切符を見せたら直ぐに乗ってという感じで私を招き入れ席に座るやいなやバスは動き出した。カンチャナブリでは自転車を借りて戦争博物館やクワイ川ブリッジなどを見て回った。欧米からの白人観光客がほとんどだった。
バンコクに戻ってすぐ寝台列車とボートを乗り継いでサムイ島へ。ナトンタウンの客引きの案内でゲストハウスにチェックイン。シャワー、トイレ、ファン、Wベッドで80B。ラマイビーチのはずれにあってメインのビーチまでは3kmもあった。でも、すぐ目の前のビーチもとっても静かで、海は青く穏やか遠浅で落着けるところではあった。ただ人けが全く無いのがちょっとさびしい。島内の移動はオートバイをレンタルしてラマイビーチでも一番賑やかな所まで行ってみたらたくさんの店やレストラン、旅行会社など、何でもあった。島では主にシュノーケリングなどをしながらのんびりと過ごした。
サムイ島からバスとフェリーなどを乗り継ぎスラータニーへ。そして夜行列車でスンガイコロクへ。到着は明朝。列車の時間まで3時間半もあった。あっちこっちで、床やイスに横になって寝ている人がたくさんいて大半は白人旅行者だった。切符は3rdクラスで106B。40分の遅れが出ているとのこと。上りも下りも同じプラットフォームを使っていた。列車に乗ったらすぐ眠ってしまった。AM8:40目が覚めたら列車は止まっていた。乗客のほとんどは降りた後で窓から外を見たら終着駅のスンガイコロクだった。タイのバーツがたくさん残っていたので銀行でシンガポールドルかUSドルに変えようとしたらそこではマレーシアドルにしか変えられなかった。オートバイタクシーでボーダーヘ10B。出入国手続きを終え歩いてマレーシア側の街、ランタウパンジャンへ。パスポートを見たら3ケ月のビザがおりていた。バスでコタバルヘ。正午KB IN TOWNゲストハウスにチェックイン。Wルーム1部屋で8M$ 。さっぱりとした部屋だ。
つづく 少しずつ記していますm(__)m
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